1 来 歴
(1) 昭和20年代の始め頃、須坂市上八町の関野正二郎氏が育成しました。
(育成方法は、「高甫地域で栽培されていたきゅうりと豊洲地域で栽培されていた門外不出のきゅうりを交配して育成した」とする説と、「長野市のきゅうり栽培農家から種を譲り受け栽培するうちに、地域に適応した品種になった」という説の2説があります。)
(2) 「皮が薄くて肉厚、甘みがあって白い粉(ブルーム)をふく」このきゅうりは、一躍市場で有名になり、「八町きゅうり」または「セキノきゅうり」と呼ばれ、新潟や軽井沢からも業者が買いに来ていました。
(3) 昭和33年、高甫地域に組合組織ができ、最盛期には組合員約150戸、出荷本数1日5~6万本を数えました。
(4) 昭和40年代に入り、市場での評価が下がったこと、りんご・ももの栽培が盛んになったことなどから、八町きゅうりの栽培は急減し、現在は、自家用と直売所での販売用などでわずかに栽培されているだけになってしまいました。
2 品種特性
(1) やや短形でずんぐりとした果形
(2) 皮が薄く、種は少なめ
(3) 味は良いが、日持ちは短い
※自家採取が繰り返されてきたことから、最盛期当時と比べ、形や実のなり方などにバラつきが出てきているのが実態です。
3 その他
(1) 須坂園芸高校では、八町きゅうりを須坂市の特産として復活しようと、数年前から研究を続けています。
(2) 現在、長野県内で「八町(丁)きゅうり」という名前で売られているものがありますが、これは昔の「八町きゅうり」とは「少し違う」というのが、地元での評価です。地元に代々伝わるきゅうりから「これぞ!」というきゅうりを選び出し、現代版「八町きゅうり」を作り出したいと、研究会では意気込んでいます。 |